青海消防団の沿革 (1/10頁)

 明治時代
明治5年
(1872)
3月  太政官布達が公布される。

「火付け・盗賊・人殺し、あるいは贋金札(にせきんさつ)を作り候者など、見聞き次第、さっそくそのもよりの役所へ、召し捕らへ差し出し、または訴へ出で申すべく候。吟味の上、相違これなく候はば、御褒美(ごほうび)くださるべく候事。」
ついで消防規則を出し、防火夫1組60人(組頭2、小頭3)竜吐水1、天水桶4、水桶12、梯子1、斧5、押し棒2、鳶口15、高張り提灯3と規定される。
7年
(1874)
 太政官は防火法大目を公布。

「各小区、防火夫50人以上、ただし患難相救ふの道をもって、無給たるべく、少壮の者を選ぶべし。」
10年
(1877)
 大沢村では、金3歩2朱で水鉄砲を買う。同村南町組13人が日掛け積み金で水鉄砲を買い、北町組13人では水鉄砲を買い換えしたとある。水鉄砲とは竜吐水に類したものである。
13年
(1880)
2月  新潟県令で防火組についての布令がある。
5月  須沢村でも非常人夫結成について議長の梅澤仁右工門が戸長小林幸治郎へ報告する。

第1項
「旧来のしきたりにより、1村を4組に分かち、各1組に1人の部長を置き、非常の有無にかかわらず、当番札を毎月1回として、順次これを送り、もし、非常あるときは、当番札これある組より、人夫くり出す。組名左の如し。西町組、浜町組、東町組、セリ町組、すべてで111戸。」

第2項
「火防人夫は、第1項の手続きに従ふものといへども、出夫賃等は、旧来のしきたりにより、無賃たるべし。ただし、6時間以上にわたる見込みある時は、弁当・たきだし等の費は、中等以上これを償ふものとす。」

 今村新田村会議長西山多右工門も戸長役場が議決し、東組、西組の火防人夫組を作る。
16年
(1883)
 青海村会では火防費7円を支出し、水打ち桶20、大桶1、梯子1を購入して備品とする。
26年
(1893)
 市振村は、村費に火防費を2円50銭計上し、纏持(まといもち)2人に賞与を40銭、あと雑費とする。
29年
(1896)
4月1日  私設青海村消防組創設される。初代組頭に水沼久治郎が就任。
31年
(1898)
 今井村では警火組合を結成し、警火規約5ケ条に全戸主の印判をとる。また、今村新田でも24軒が黒印朱印を押す。
33年
(1900)
11月16日  公設青海村消防組創設される。初代組頭に斉藤数平が就任。
34年
(1901)
4月1日  田海村を合併し、青海を第1部、田海を第2部とする。
 大正時代
大正6年
(1917)
4月1日  青海村消防組頭の斉藤数平が勇退し水沼久次郎が就任。当時の手装備は手引き手押しポンプ3台、消防手70人余り。
8年
(1919)
12月14日  歌外波村消防組が発足。
12年
(1923)
9月1日  関東大震災発生。
14年
(1925)
4月1日  青海村消防組に初めてガソリンポンプ1台が導入され、第1部(青海)に配置する。(動カポンプ第1号)