青海消防団の沿革 (3/10頁)

 戦後の時代
昭和20年
(1945)
8月15日  太平洋戦争終戦。
昭和21年
(1946)
9月15日  太平洋戦争終戦により警防団は解消したが、消防部だけは残される。(別添5)
昭和21年
(1946)
10月18日  終戦から1年が経過し・復員軍人も地元に定着したので組織の再編成を図る。警防団長小野惣司、副団長水沼清三郎以下団員224人となった。なお、当時の年棒は団長30円、警備員10円、出動手当5円/1回である。
昭和22年
(1947)
4月1日  警防団令廃止・勅令・消防団令の施行により「青海町消防団設置条例」が制定される。
昭和22年
(1947)
10月6日  青海町消防団設置条例により警防団を改め青海町消防団となる。
初代団長に水沼警防団副団長が就任、副団長野本定五郎以下230人で発足する。(別添6)
 他村も随時、警防団を消防団に名称変更。
昭和23年
(1948)
12月4日  消防組織法の施行により「青海町消防団の定員並びに任免に関する条例」を制定し・同日東町に第8分団、北斗町に第9分団を増設し、1団9分団編成とする。また、定員も261名と増員される。(別添7,8)
 副団長を二人制とし、野本定五郎、水沼源治が就任、団員251人。
 同日ガソリンホンプ1台を購入し、第8分団(東町)に設置する。(戦後第1号ポンプ)
昭和24年
(1949)
3月30日  「青海町消防団員の定数並びに任免に関する条例」を改正し、連合消防団制とし、本部員4人を置く消防団本部を設置する。
8月  市振村は、渡邊式ガソリン手引ポンプを購入し配置する。
9月4日  改正条例による連合消防団編成なる。同日、南杜宅地区を南北に分け、南部に第10分団を設置する。編成は3消防団、1O分団290人である。(別添9)
 同日ガソリンポンプ2台を購入し第4分団(高畑)、第10分団(南部)に配置する。
昭和25年
(1950)
2月  上路村の腕用ポンプを更新、配置する。
3月  小型トヨペット消防ポンプ自動車1台を購入し、常備部に配置する。(町消防自動車第1号)
7月  上路村に消防器具置場を新築。
5月19日  「青海町消防団条例」が公布される。
5月25日  「青海町火災予防条例」、「青海町危険物取締条例」、「青海町消防団表彰条例」を制定する。
9月  柳沢町長は、議会で消防ポンプ自動車導入を提案、消防団の報酬を引き上げ、連合団長500円、団員100円と昭和21年の10倍となる。
昭和25年
(1950)
11月30日  柳沢町長構想により、地下に大型貯水槽を有する機器置場を構築する。(第8分団(東町)詰所及び地下110m3貯水槽)(1OOm3級貯水槽第1号、古宮貯水槽)
昭和26年
(1951)
4月1日  消防団本部に常備部自動車隊を設置する。常備員、役場職員14人をあわせ29人編成とする。県下役場消防の創始である。
 新潟県消防団員等公務災害補償組合が結成、青海町も加盟して全額町が負担する。
昭和27年
(1952)
1月6日  新潟県消防協会長より3ヶ年無火災による表彰旗授与される。
 新潟県消防協会上越地区支会長より同じく表彰旗授与される。
2月1日  青海町防火協会創立する。協会長柳沢新太郎町長、副会長水沼清三郎団長、理事山崎三郎消防主任。(別添10)
3月17日   上路村小学校で不審火がありしも大事には至らず。以後、従来あった夜警を復活させ現在でもなお続いている。
5月10日  中型消防自動車フォード100馬力1台購入し、常備部に配置する。

6月20日  第9分団(北斗町)に地下100m3貯水槽を有する消防詰所を新築する。
6月29日  青海町防火協会に防犯組合を併設、以後青海町防火防犯組合と称する。
7月14日  新潟県消防協会長より優良消防団として竿頭綬(かんとうじゅ)を授与される。
 2台の自動車消防ポンプは町役場の脇に常設され、運転手5人が常勤し、役場職員25人が兼務。
11月28日  上路村に簡易水道による消火栓を設置。